2025年1月訪問
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは、かつてオスマン帝国領だったこともあり、トルコ風の商店街とヨーロッパの雰囲気が入り混じる独特の街です。
見るべきことの多いこの街ですが、日本人サッカーファンの間ではイビツァ・オシム元日本代表監督の生まれ育った町としても有名です。
またサラエボにおいて、オシム監督はただのサッカー選手ではなく、1991年に始まったユーゴスラビア紛争の解決にも尽力した、街のアイコンでもあります。
そんなオシム監督は2022年にこの世を去り、サラエボのお墓に埋葬されています。
この記事では、オシム監督のお墓まいりと、スタジアムなどのゆかりの地巡りについて紹介します。
私のXでの投稿
オシム監督のプレーしたスタジアム(スタディオン・クルヴァビツァ)への行き方
オシム監督のプレーしたスタジアムは、クルヴァビツァスタジアム(スタディオン・クルヴァビツァ)という名称です。
クルヴァビツァはスタジアムがある地区の名称で、サラエボ市街から50分ほどで歩いて行けます。
私は行きはタクシー、帰りは歩きにしました。
タクシー代は行きの片道で10兌換マルク(約800円)ほど。
ちなみにトラム(市電)でも行けるようですが、サラエボの市電はややこしいため私は使いませんでした。
バスチャルシャ~スタジアムの地図
スタジアム(スタディオン・クルヴァビツァ)周辺
スタディオン・クルヴァビツァの前の通りは、オシム監督の死後、その名にちなんで「イビチャ・オシム通り」と呼ばれるようになりました。
スタジアムより西側がイビチャ・オシム通り、東側はズヴォルニツカ通りです。

なおオシム監督は生前、この命名変更について「私ではなくもっとふさわしい英雄がいるだろう」と、主張されていたようです。
それでも死後に命名されたのは、そうした彼の意向を受けてなお、サラエボの人々にとってオシム監督が忘れられない英雄だからでしょう。

この日はシーズンオフだったので当然試合は行われておらず、スタジアムも閉まっていました。
が、管理室の付近を歩いていると、関係者の方が中を見学させてくれました。

スタジアムの中
サラエボにはFKサラエボとFKジェリェズニチャルの2つのサッカークラブがありますが、このスタジアムはFKジェリェズニチャルのホームスタジアムです。
若き日のオシム監督が、キャリアをスタートしたクラブです。

スタジアムはユーゴスラビア紛争終了後の2004年に改築されたとのことですが、造りの古い部分も残っています。


選手入場口には、オシム監督の壁画も描かれています。


FKジェリェズニチャル・オフィシャルクラブショップ
スタジアムの隣には、FKジェリェズニチャルのオフィシャルクラブショップが併設されています。

シーズンオフの平日ですが、お店自体はやっていました。
スタジアム横のコートではユース生らしき若者タイが練習しており、その父兄も出入りしていました。

お店の中ではユニフォームやTシャツなどのスポーツウェア、マグカップ等が販売されています。
オシム監督のユニフォームやTシャツも売っていました。


お店の中にはジェフ千葉のユニフォームも飾られていました。
おそらく過去にここを訪れた千葉サポーターが置いていったものでしょう。
オシム監督の眠る墓地(Bare cemetary)
オシム監督が、サラエボ郊外にあるBareという墓地に埋葬されています。
Bare方面にはトラムは走っていないので、バスで行くか、タクシーで行くか、歩いていくかの3択になります。
私は行きはタクシー、帰りは徒歩で移動しました。
方向は違いますが、街からの距離はスタジアムと同じくらいで、タクシーで10分、歩きだと1時間くらいです。
Bareに到着。
かなり広い墓地なので、入口にはマップがあります。
ボスニアは様々な宗教、宗派の人が入り乱れており、それぞれ墓地の区画が分けられていました。


オシム監督のお墓は、入口から近いA21にあります。
墓地の中を歩いていきます。


この時は陽が沈みかけの時間で、私以外はほぼ誰もいませんでした。
オシム監督のお墓のあるA21に、ほどなく到着します。
オシム監督は柿の種が好きだったとの情報を得ていたので、持参してきました。
また、日本を思い出してほしかったので、日本の風景が描かれた掛け軸も一緒にお供えします。


お墓にはすでに、オシム監督が日本に来るきっかけとなった、ジェフ千葉の写真が置いてありました。
日本から時々サッカーファンが訪れては、お祈りしているのでしょう。

Bareの前には花屋もいくつかありますが、時間が遅かったためどこも閉まっていました。

オシム監督のお墓の前でお祈りをした後、柿の種は自分で回収しました。
食べ物は置きっぱなしにすると鳥や動物に荒らされるので、故人にお供えして帰るときに回収するのがルールです。
まとめ
オシム監督の薫陶を受けたパスサッカーは、日本代表だけでなくJリーグの多くのクラブで今も取り入れられています。
日本代表監督を務めるさなか、持病で引退されてしまったオシム監督でしたが、その在任中は日本サッカーに多くの教えをもたらしてくれました。
そんなオシム監督のお墓に直接お墓参りをし、祈りを直接ささげることができたのは、いちサッカーファンとしてファン冥利に尽きます。
サラエボを訪れる日本人、特にサッカーファンの方は、一人でも多くぜひオシム監督のお墓を訪れ、お祈りしていただけるとうれしいです。
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